家事ヤロウのおばあちゃんが生まれた日

家事ヤロウは間違いなく私の「宝物」です
50で宝物ですよ!想像していませんでした。
そしてテレビのナレーションは家事ヤロウが初めてです
希望が湧いてきた方いますか!?ぜひ!
ご縁を結んでくださったのはナレーションスクールでお世話になったマネージャーです(割愛①)
この方は「3枚目の女がほしい」と言ってました
私「私じゃね?」と気づきます
で、ボイスサンプルをお渡ししました(話したい事割愛②)
そして、このマネージャーの感覚に触れる事ができました
そこから多分1年か、、、ぐらいだったと思います
「新谷、受けてほしい案件があるんだけど」と
電話を頂いた翌日ボイスサンプルを録り
その翌日決定しました
そんな事あるの?
あるのです
そこから家事ヤロウの原稿を読める人生がはじまりました
当時の家事ヤロウは深夜2時を回った頃の放送で、
おばちゃんのナレーションはクセ無く、ただ音を低めにゆっくりしゃべるおばちゃんでした。
あのクセが発生し始めたのは
原稿にある「〜」の記号
「あんたたち、それでいいと思う〜?」
「あんたたち」ってとこで上からだし、「〜」があるのは
なめてんの?って感じしますでしょ?
「これどうやるのだ?まいっか、やってダメならかえよ」
好きにやりました
ディレクターからダメが出ません
(ちなみに7年半、ディレクターからダメが出た事はなく、ずっと好きにやらせて頂いてきました。割愛③)
いいの?!これ?いいの?!
ふざけているつもりはありません。
遊び心というか、私だったらこんなんかなーと(全力よ)、、、
え、採用?
そんな収録が続きました
演出の懐が深いというのか、家事ヤロウの御三方で充分に満ちた画面だからだろうなぁと思いました。
だからか、のびのびやらせて頂いてた私です
1年を過ぎたあたりか、
クセに温度をつけてみようとか、
エッジをきかせてみようとか(だらだらなのにね)
現場のスタッフに「面白いな」と思ってもらいたいとかが増した頃かもしれません。
そして、誰の真似でもなく
私の中から湧き出るもので「ok」をもらい、形になったら嬉しいなーと。
その好奇心の賜物が「おばちゃん」になりました
なので、おばちゃんの喋り方は最初から出来上がってスタートしたのではなく、半年ぐらいかけてできあがりました。
ずっとおばちゃんやってるのに、どうしゃべったらいいのかわからなくなる時がありまして(一丁前に)
その時のお守りがありました
初収録の時につけられた演出家からの
「夜中の2時に起こされて、これ読んでっていわれたら?」
の感覚。これが最後まで掴んで離さなかった命綱です
疲れて分からなくなりそうになった時、
文言が普通の説明だったり、「これは、どう読んだらいいのだ?」の時には必ず思い出してました。
原点の言葉は、その瞬間の大ヒントです。
そんな経験を積ませてくださった家事ヤロウの現場
割愛はたくさんありますので、追っかけてお話しできたらと思います。
こんな文章ですが、読んでくださりありがとうございます
続きはまた追っかけて
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